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3月11日 震災当日。

友人ぽにょと仙台新港の三井アウトレットモールでお買い物をしていた。

午後2時46分。
ぽにょがちょうどいいパンツを見つけ、二階のビックママへお直しを出していた時、
グラッと床が揺れはじめた。はじめは小さな揺れがだんだん大きくなっていく。

思わず店員さんとお互い顔を見合わせた。「どうしよう・・・」

揺れは納まらない。

「外へ出た方が」

店員さんが言った。
すぐにでも外へ出たかったけど、ここは二階だし、揺れは走り出るには大きすぎた。

みんなで店の外の廊下へ出たが、それでもまだ揺れ続けている。
「長い。いつまで続くの、これ・・・?」
立っていられない大きな揺れ。まるでアトラクションの乗り物に乗っているかのような
意思をもった揺れのように感じる。ただ違うのは、アトラクションのように安全な結末が
約束されていないことだ。

思わず先日起きたNZの地震のことが頭をよぎる。
「早く建物から出たい」

低い姿勢で揺れが納まるのを待っていたが納まらない。
言葉にならない恐怖。

「ガタッ」
大きな音を立てて、天井から点検口の戸が開いた。
「キャー!」

揺れは納まらない。誰もが口をつぐんでいたが、
この揺れは尋常でないことは誰もが肌で感じていたと思う。

揺れが小さくなった一瞬に柱の元へ走りこむ。ぽにょと目があった。
「どう・・・する?」
「外へ出た方がいいよね」
揺れはまだ強くなっていたけど、友人の顔を見てようやく冷静になれた。

長い、長~い揺れの後、ようやく階段を、急ぎながらも余震に備えて慎重に降り、
広い駐車場へ走り出た。

すでに避難していた人々が何人かいたが同じように息を吐いて、
たった今起こった地震に呆然としていた。

「長かったね」「あんなに長い地震なんて初めて」
一息ついた途端、ぽにょがぼそっと言った。
「ここ、港だから津波くるんじゃない?」

と、その瞬間、「あ、煙出てる!」とぽにょが小さく叫んだ。

見ると、少し離れた、でもそんなに遠くないコンビナートらしき建物から煙が出ている。
「あれ、もともと出てた?」「さぁ、わかんない」
そんな会話をしていたら、間もなくサイレンが鳴り出した。そしてアナウンスも。

「ね、なんて言ってる?」ぽにょが冷静に私に尋ねる。
耳をすましてよく聞いた。
「緊急津波警報です。・・・避難してください・・・」

「津波がくる!」

車まで走り、ぽにょが急いでエンジンをかけた。
「絶対に津波に遭うわけにいかない」

こんな時だというのに、ぽにょは妙に冷静で頼りになる。
カーナビを着け、港からどのくらい離れたか確認しながらハンドルを操る。

港を平行に走る産業道路は、見るからに渋滞していた。さっきの地震のせいだろう。

あの渋滞の波に入るのか。
私は助手席に乗っていただけだけど、心を決めてその波に飛び込んだ。

車の波は、ペースは速いわけではないが、意外と順調に進む。
港から離れるには右へまがらなければいけない。
しかも停電で信号が点いてない道を右折しなければならないのだ。

「右、右」とつぶやきながら、右折できるところを探す。
(産業道路は、高架橋の部品が落ち、道路から水が飛び出していた。)
1つ目の右折を逃し、2つ目の右折でうまく車線に入ることができた。

その後、カーナビを確認しつつ、電柱を警戒しながら確実に車を走らせていった。
少しずつ少しずつ、港から離れていく。

その間も何度も大きな余震に襲われ、その度に速度を落とし、周りに気を配りながら
慎重に進んでいった。カーラジオから災害特別番組が流れている。

約一時間後、ラジオは津波がすでに宮城県に到達していることを伝えていた。
私たちはその頃、港からだいぶ離れた場所にいた。

途中、余震警戒のためNISSANに少しだけ避難させてもらった。
そこでトイレを借り、誰かのワンセグをちょっとだけ覗く。
ニュースでは津波の映像が繰り返し放送されているようだった。

道々で目にした建物の崩れ具合や、本震かと間違いそうな大きな余震、
停電した信号機など、まるで映画のセットのような、どれも現実感のないものだった。
今日はこの先どうしよう、と思ったが、とにかく夫に会い、松島の家へ向かうしかない。
夫にもうすぐ向かうことをメールで知らせた。(この頃はかろうじてメールができた)
同行のぽにょも、とにかく家へ帰るとのこと。

夫の会社の近くまで乗せてもらい、途中でぽにょと別れた。
待ち合わせに使おうかな、と思ったコンビニの駐車場はお客さんの車でいっぱいだった。
非常用に水や食料を買うためか薄暗い店内はごった返しているように見えた。

待ち合わせはやめ直接会社まで行こうと、会社を探しさ迷い、ようやく見つけた。
夫はすでに車に乗って待機していた。

松島の自宅まで行けるのかわからなかった。
沿岸部のため、津波の影響を受けて通行止めも考えられた。
でも国道4号線は信号が点いていたし、行けるところまで行ってみようと出発。

渋滞してたけど、通行止めもなく、数時間後自宅へ着くことができた。

松島といえど山間部にある我が家の唯一の心配は、津波より火事だった。
義理の両親の住む隣の家には薪ストーブがある。
あの地震でストーブが倒れ、火事になっていたらどうしよう?と半ば本気で心配していた。

カーブをまがり、ドキドキしながら見上げた家は、無傷だった。

車を止め、家に入る。義理の両親が隣から出てきた。
「今日はこっちへ泊まりなさい。中はダメだから」
「え?ダメ?」
覗いてみたけど、ダメなほどではない。
むしろ思っていたより被害はなく、ちょっと散らかっているぐらいに見えた。

被害状況を確認したくて、ちょっと片付けていると、義母が何度も顔を見せる。
仕方なくやめて、隣の家へ行った。

簡単な夕飯を食べて(電気も水も止まっていたから)、ラジオに耳を傾ける。
被害は想像以上にひどいようだ。こんなときに映像で見れないのがもどかしい。
もうすでにメールも電話も通じない。

横になれと言われたが、とても寝れそうにない。
大きな余震が何度も起こるし、そのたびに薪ストーブが気になるし。

ソファに座ったまま、じっとラジオを聴いていた。聴こえてくるのは辛い報告ばかり。
それでも聴かずにはいられない。一体何が起こったのか、取り残された人たちは大丈夫なのか。

外は雪がしんしんと降っている。すごく寒い。
こんな中、寒さに震えながら救助を待っている人が大勢いる。

暖かい薪ストーブの部屋にいる自分を誰にともなく詫びながら、眠れない夜を過ごした。

by zizo_cafe | 2011-03-20 19:57 | 震災後日記